みどころ・・(16)虫歯地蔵
さらに歩いて行くと、民家があり、その前に虫歯地蔵の立て札が出ていた。
その昔、村に人々は歯が痛くなっても、どうする事もできませんでした。
煎った大豆をお地蔵様に供えて、ひたすら一心に祈るのでした。すると奇態に痛みが治まった、と言われています。
(民間信仰のひとつ)
虫歯地蔵・・どこ? |
あっ、ここだ。 |
小高くなった垣根の上、地蔵様が雑草の中に座っていた。
虫歯地蔵。
近くには無人販売所もありました。
無人販売所。
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みどころ・・(17)王堂歌碑
さらに、歩いて行くと玉堂歌碑が見えてきます。虫歯地蔵のすぐ傍です。
王道歌碑のある風景。
歌碑は(かひ)と呼びます。
和歌や歌詞が刻まれた石碑が、歌碑です。
この歌碑には、川合玉堂さんの歌が刻まれています。
川合玉堂(かわいぎょくどう)(明治6年愛知県生まれ)明治から昭和にかけて活躍した日本画家。
戦時中に現在の青梅市に疎開、そのままその地に定住した。
現在、同地には玉堂美術館がある。
川合玉堂の碑(右上、川井玉堂さん)
「山の上の はなれ小むらの 名を聞かむ やがてわが世を ここにへぬべく」
この歌は、川井玉堂さんが29才の時に、小河内に絵を描きにやってきたときに、この地で詠ったものです。
「人里離れた山の上で息をひそめるようにして生活している あの集落は、なんという所だろう?私もいつか、きっと、あのような場所で余生をおくりたいものだ。」
この歌は、玉堂さんが、奥多摩に永住するようになった原点だと云われているそうです。
玉堂さんは、奥多摩を離れる事なく、89才で他界するまで、山や村などを描きつづけたそうです。
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道所吊橋
ずんずん歩いてゆくと、もうひとつの吊橋が見えてきた。
おっ?また吊橋だ。
吊橋を見ると、わくわくします。
吊橋の様子。
ここも定員5名まででした。
渡ってみよう〜っと。 |
渓谷の様子。 |
渡ってみるとかなりしっかりした吊橋で、あまりグラグラしませんでした。
目に鮮やかな紅葉が楽しい。
そして、道中は紅葉を楽しみながら歩く。
やたら若い男女がいちゃいちゃしながら歩いていた。
秋です。。
そして、ずっと舗装路を歩いて行くんですが、途中で山の中に入って行きます。
山道に入ってゆく。 |
登山道っぽくなる。 |
途中は高圧注意の道を抜けて行く。
綺麗な花だね。 |
遠くに見える、奥多摩の山。 |
黄色く色づいた登山道を歩いてゆくと、木々の切れ間から奥多摩湖が見えた。
奥多摩湖がきらきら光ってます。
もうすぐで終点かな。
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みどころ・・(19)浅間神社
みどころ19までやってきました。ここは浅間神社です。
コースからちょっと外れた場所に鎮座している。
浅間は(あさま)でも(せんげん)でもどっちでも読み方として間違って無いみたいです。
浅間神社は富士山の神霊である浅間大神や木花咲耶姫命を祀ることなどから、富士山信仰と結びついているようです。
浅間神社。
浅間神社、富士山を霊山とし、木花咲耶姫として仰ぐ神社。社殿は江戸中期の造営。 愛宕神、稲荷神、天狗様も合祀する。
国津神の大山祗神(おおやまずみのかみ)の娘の姫が、天津神ににぎの命に 見初められ結婚。一夜の交わりで妊んだことから、国津神の種と疑った。そこで姫は、天津神の御子だったら
障りないはずと、産屋に入り火を放って燃え盛る火の中で3人の御子を産んだ。
火中出産の説話から木花咲耶姫は火の神とされ、火山である富士山に祀られるようになった。その反面、富士山本宮浅間大社の社伝では、木花咲耶姫は水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとされている。 奥多摩の仙元峠では酒の神(水の神)として祭られている。
浅間神社を後にする。
あるく、あるく。
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みどころ・・(20)青目不動尊
くねくね・・とくねった道を歩いてゆくと、青目不動尊のたて看板が見えてきた。
しかし、青目不動尊はどこにあるかよくわからない。
どうやらこの不動尊は非公開になっているみたいです。
たて看板しか無い。 |
奥多摩湖はすぐそこ!! |
あとは、奥多摩湖へ無心で歩きます。
もうちょっと奥多摩湖だ。 |
途中にあった、へんちくりん小屋・・? |
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