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浅間峠

浅間峠に到着しました。峠には東屋やベンチなどがありました。

峠の様子。

なにこれ・・なにかの石。

浅間と言うぐらいなので、祠が祭ってありました。

浅間峠の巨木。

浅間峠の祠。

熊倉山を目指して歩くっ!!

浅間峠から土俵山への道中。

熊倉山へ到着する前に午後1時になった。
途中で腰を落として水を飲み、菓子パンをかじる。

熊倉山の直前では、登山道を塞ぐ倒木が。

根元には道祖神さん。

なかなか熊倉山に到着しないな、ちょっと疲れてきました。

熊倉山

幾段かの登りを超えて熊倉山の山頂に到着しました。

山頂の様子。

熊倉山からの展望。

小さくて可愛い山頂でした。

赤くなった植物。

ベンチと三角点?(※)

※調べてみたのですが、熊倉山には三角点の設定が無いですね。なので三角点では無い別の何かですね。

なんとなく端正な雰囲気が漂っていた。

なんかぷにぷにしてるな俺の体・・。。

軍茶利山

熊倉山から生藤山へ向かって縦走する。距離的にはそんなに遠くない。
目の前に小さいピークが現れたので生藤山かな?と思って登ってゆくと、
『軍茶利山』の標識。

山頂の様子。

軍茶利山。

山頂標には『軍刀利山西峰』の落書きが。
軍刀利は(ぐんだり)と読むみたいです。

『軍刀利山西峰』

よく見ると、三角点らしきものが打ち込んであった。

そして西峰があるって事は東峰があるだろう・・と思っていたら。
広い山頂の東峰(?)があり、そこに軍刀利神社が鎮座していた!!

広〜い山頂。

軍刀利神社元社。

軍刀利神社の由来の石碑を読んでみます。

第12代景行天皇の「御代東方の十二道の荒ぶる紙服従しない人たちを平らげてこい」との詔(みことのり?)による御東征を成し遂げられた日本武尊が帰国の途中、率いる兵士を整え草薙剣を神実として御親祭り(天皇が自ら神をまつり、御告げ文(天皇が祖先の神霊に奏上する文。ごこくぶん。ごこうもん。)を奉上する祭儀。元始祭など。)された処です。その後原始祭祀の祭場として又永承3年5月社が創建され天文7年7月北条氏康の軍卒の狼籍(兵の働き)により社殿が破却されたための奥の院の処に御遷宮(神社本殿の造営修理に際し、神体を移すこと。多く伊勢神宮についていい、一般神社では遷座という)されるまで祭典が続けられた処です。現在此の地は軍刀利神社奈備の中枢であり東京神奈川山梨のまほろば(実り豊かな土地で美しく住みよいところ)であります。

橙色は私の補足・解読不能文字です。

軍刀利山からの展望。

祠が護られている。

軍刀利山・・なんだか良くわかりませんが、なにか縁起の良い場所の様です。

軍刀利神社を超えて行く。

三国山を目指します。

途中になった謎のきのこ。

三国山

三国山に到着しました。

三国山の様子。

三国山 標高960m。

山頂でおじさんたちがマッタリしてました。
中に笛を吹いているおじさんがいて、とっても良い音色でした。

山頂の様子です。

南アメリカの笛を吹いてるおじさんがいた。

ぼくがおじさんに「とても良い音色ですね(^^」と言うと、おじさんが「君は(お世辞が)上手だね(^^」と言います。近くにいたおじさんは「ハハハ(^^」と笑います。

なにこれ、さわやか!

おじさんたちに別れの挨拶をして歩きだすと、すぐに生藤山でした。

この上が生藤山です。

生藤山の直下は岩と土がミックスした急坂です。
ここを、おっとっと・・と登って行く。