番神山 東京登山

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番神山

たぶん、ここが番神山だと思う。
理由はこの辺りでここが一番高いから。

山頂の様子。

山頂らしき場所には南北に登山道が走っていた。
西側は木が少なく明るいが、草が伸びていて展望はほとんど無い。

ヤブ。

ヤブが邪魔をして展望が無い。

うっすらと奥多摩の山が見える。

山頂には2種類の杭があった。

『国土調査 筆界基準杭』と書いている。

こっちは『秋川市 基準多角点』

山頂の様子。

さらに登山道が伸びていて、下りながら突き抜けるような道だ。
どこへ続いているのか、進んでみました。

なおも道はしっかり。

 

すると、ヤブが少なくなって展望が良い場所が出てきました。

おお〜。。なかなか眺めが良いなぁ〜。って正面にさり気なく富士山がっ。

で、ここで景色をボケ〜〜っと眺めていたら、なんと、進行方向から1人のベテラン風の女性登ってくるじゃないですか。
挨拶をして軽く話しました。近くに住んでいる人らしく、この道は良く歩くらしいです。昔はこの道は両面に木が生えていて展望が悪かったのですが、数年前に伐採されて富士山が見えるようになったんだとか。

ここからは、かなりハッキリと南アルプスが見える。

話すだけ話すと、おばさんは番神山の方へ歩いてゆきました。
ちなみにこの女性は番神山の事を知りませんでした。

有難うございました。

僕はさらに南へ向けて進みましたら・・

なんとここで左手にお堂が出て来ました。

こんな所に建物がっ。

おおおっ〜(?)

この場所。

びっくりした、なにか神社みたいなモノがあるかもなぁ、と思っていたら本当にあった。

謎のお堂。

番神山と言うぐらいだから、三十番神を勧請(かんじょう)してるに違いないな・・と、
勝手に妄想するオヤジです。

いちおう神社なんだろうか。

穴が開いていたので覗いてみた。

なにか転がってはいたが、大したものは無さそうだった。

建物はかなりボロくなっている。

ちなみに、お堂の前の広場はこんな感じ。

石碑が建っている。

『南無妙法蓮華経』と彫ってある。

三十番神は神仏習合と言う事らしいが、日蓮正宗系統なのかもしれない。

『開宗七百年記念』という文字が見える。

そして裏面。この七百年記念を祝ったのが、昭和二十七年(1952年)

※廿は、十が2つで、二十という意味の漢字です。ちなみに丗は三十です。

めっちゃ古い。

さて、この後さらに道を南へ進み、いろいろと探検してきたのですが、 おもいっきり私有地っぽかったので、レポートは省きます。 この先も道があるのですが、かなり荒れた道と、荒れた竹林が麓まで広がっていました。

と、言うわけで帰る。

いったん番神山へ戻る。

番神山を通過。

ここからは流れるように。

石碑の近くへ。

そして・・。。

適当にゲザーン!!

なんか適当だけど、すぐそこはもう民家だからね〜(^^;)

んで、ちなみにこの後、お隣にある大澄山に行って山頂でお昼ごはんを食べた。